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ユーコンの風Vol.5 (2003年10月)

ポプラの葉が黄色く色づき、ワイルド・ローズやファイヤー・ウィードの葉が真っ赤に染まる頃、ユーコンに秋が訪れる。

今年も、夏は駆け足で過ぎていった。

6月、ブリティッシュ・コロンビア州のプリンス・ルパートの北、人口300人程のファースト・ネーション(先住民)の村に住む友人、高坂雄一を訪ねた。彼はここで、オーロラ写真家として生活している。今年の春までは道も通っていなかった場所で、以前この村に行くにはプリンス・ルパートから船か飛行機を使うしかなかった。よく、ホワイトホースに暮らす私に「よくまあ、こんな所に」と言う人がいるが、雄一の住むGingolx (英語読み:Kincolith, キンコーラス)に比べれば、ホワイトホースなんて大都会である。

まず、村を見渡してみて「この村にあるもの」を紹介しよう。氷河を抱く山

rainforest

々。海。数多くのシー・ライフ。漁船。澄み切った川(夏には遡上するサーモンの姿が見られる)。レイン・フォレスト(雄一の息子、カラムは、この森にはトトロが住んでいると信じている。あちこちに、幹にぽっかり穴の開いた巨木があり、ここでトトロがついさっきまで昼寝をしていた、という話がこの森では本当のことに思えてくる)。舗装されていない道路。小学校。コミュニティー・センター(体育館)。医者のいる小さなクリニック。

「この村にないもの」。スーパーマーケット(雄一は、毎月1回、3時間ドライブした町まで食料の買い出しに行く。冷凍できるものは全て冷凍して保存するという)。レストラン。バー。ショッピング・モール。警察署。美容院。郵便局はあるが、配達は週に1回。

普通はこのような村をみれば「ないもの」の方が断然多いはずなのに、どうしたわけか、私には「ないもの」があまり思いつかない。人間が生活していく上での必要最小限のものと、豊かな自然があるからかもしれない。

ファースト・ネーションの村で、雄一たちのような「よそ者」が生活していくことは容易ではない。しかし、彼らはその明るい性格から村の人々に受け入れられている。私の滞在していた間にも、誰かが「この間、写真を撮ってくれたお礼に」と釣れたばかりのサーモンをぶら下げて持ってきたり、若者が「バレーボールしよう」と声をかけてきたりしていた。

しかし、美しい風景を眺めながら海でカヤックをのんびり漕ぎ、この村に対する印象が固まりかけていたある夜、雄一と彼の奥さん、Maryからこの村の持つ数々の「問題」について話してもらった。それは、短期滞在の旅行者の私の目には見えないことであり、この村に住む人々だけが語れる話であった。特にここの小学校で校長先生として働いているMaryからは、その実体験を通した説得力のある話を聞くことができた。

「カナダ在住」の日本人は数知れないほどいるに違いない。しかし雄一のような体験、生活をしている日本人は一体どれくらいいるだろう。

…今日も、彼からメールが届いた。「また、数の子をたっくさん貰いました。昨日のサーモンの刺身も美味しかったし。」… 彼は、内陸に住むユーコン人には、よだれの出るような話ばかり届けてくる、にくい人でもあるのである。

独り言

今年の夏、一組の「親子」がツアーに参加した。お父さんと息子さん2人。14歳と11歳の、まだあどけない表情をした男の子がお父さんに連れられて、はるばるユーコンまで8日間の川旅に来てくれた。その姿を見て、フッと自分の子供の頃が思い出された。

私がアウトドアの世界に入ったのは、父の影響であった。大学時代から日本各地の山を登った父は、当然のごとく3人の子供にも山の素晴らしさを伝えてくれた。小学校の頃から(実はもっと小さい頃かららしいが、あまり記憶にない)、週末といえば家族でキャンプに行き、山に登った。飯盒でのご飯の炊き方も、火の起こし方も、私は父に教わった。

一番印象に残っている旅は、小学校4年生の時。父の大好きだった大分県の「宮の原線」というローカル線が廃線になるという時、父は私と小学2年生の弟と従兄弟の3人を連れて、その列車の線路を歩きに連れていってくれた。ぼうぼうと草の生えたレールの上を歩き、真っ暗のトンネルをくぐり、電車が来ないかどうか、時々レールの上に耳を押し付けて聞いてみたりと、すっかり冒険気分だった。途中、電車が通った。これが、宮の原線を見る最後かなと思ったら、4人ともしんみりした。車掌さんがレール脇の私たちに笑顔で手を振ってくれたときは、なんだかとても素敵なことに思えた。目的地の温泉まで、ゆうに4時間は歩いた。農道に出て、トラックが通る度、「乗せてくれないかなあ」という目をする私たちを無視し、父は本当によく私たちを歩かせた。山に行く時、私たちを釣る材料としていつも父が携帯していたのは塩飴。時々それをなめて機嫌を直しては、私たちは父の背中についていった。

8年前、片道チケットでカナダに出発する時、私はその目的地のホワイトホースに知人もいなかったし、そこで一体何をするのかも具体的に家族に説明できなかった。一度旅したアラスカでの体験から「北に帰りたい」という思いだけはあったし、できれば何も決めずに出発し、そこで何かを見つけたいと思っていた。当時、私の決断に納得できない父に言えたのは、「自然の素晴らしさと、それを感じる心を教えてくれてありがとう」という言葉だけだった。

ユーコンに暮らして5年目の夏、両親がホワイトホースを訪れてくれた時、父とユーコン川をカヌーで下り、ハイキングに行くという夢が叶った。私が何故この土地を選んだか、言葉無くして父に伝わったように感じた。そして今でも、私が日本に行くと、必ず一度、両親と九州のどこかの山に登りに行き、日本の自然の美しさを父から教え続けてもらっている。

今年、ユーコンでの大冒険に出かけていった親子。この子たちにとっても、きっとお父さんは、とても強くて、かっこいい存在なんだろう。そして、お父さんから、物ではないとても素敵な贈り物をもらったということに、(今気が付いていないとすれば)いつか気付く日がくるんだろう。

Sweet Riverのツアーに、親子が参加してくれたのは、今回が初めてであった。もっともっと、こんな親子に出会うことができれば、そして冒険のお手伝いができれば、どんなに素敵だろうと思う。

Yoshie Kumagae